神畑の地名由来
神畑(かばたけ)の地名の由来については、
興味深い2つの説があります。
一つはこの土地の古墳時代の文化的背景にもとづくもの、
もう一つは日本神話に由来するものです。
これらの説に関連するものを融合し、
神畑商工振興会のロゴや
ホームページデザインが生まれました。
ここでは、神畑の長い歴史とともに、その地名の由来となった物語を紹介します。
古墳時代の文化的背景に
もとづく説
神服部(かんはとりべ)が転訛
神畑(かばたけ)は、神服部(かんはとりべ)が転訛したものという説があります。
大和政権時代の日本には、部民制度という朝廷に仕える職能集団をつくる制度がありました。
そのうちの一つが、機織りをする集団「服部(はとりべ)」です。
神服部は、「神」の字がついていることから、
神宮や神社に納める織物の作成を担当していた集団と考えられます。
大和政権の勢力が活発だった古墳時代前期あたりに、この地域に神服部が存在していた文化的背景がルーツとなり、
「かんはとりべ」が訛って「かばたけ」になったとされています。
現在の地名に至るまでの過程
記録によると、「かばたけ」の地名が初めて登場したのは鎌倉時代です。
当てられる漢字は、「加畠」→「上畠」→「神畠」と変化しながら、
現在の「神畑」になったと言われています。
日本神話に由来する説
神の幡(神の拠り所)から命名
もう一つの説は、日本神話に登場する建御名方命(タケミナカタノミコト)を由来とする説です。
古事記には、天照大神に国譲りを迫られ、信濃の地に逃げてきた建御名方命という神様が
登場します(国譲り神話)。
信濃の地を移動する最中に、現在の加美畑神社のあたりに一時滞在し、
現地の人々に農業と養蚕を教えたとされています。
この伝承から、神の拠り所の意味で「神の幡(かみのはた)」から「かみはた」と命名され、
さらに転訛して「かばたけ」になったとされています。
※加美畑神社もこの説にもとづいて「かみはた」と名付けられたと言われています。
ロゴ・ホームページ制作の背景
上記由来を融合し、神畑商工振興会のロゴが生まれました。
また、ホームページも、神畑の歴史や古墳時代らしさを感じられるものになっています。